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一応書いておいたこと。
長いのでお暇なかたは。
..:::: 3/23::::::::...........
3/11に地震が起きた、そして津波が起きた。

大袈裟だと思われるかもしれないし恥ずかしいのだけれど、地震のあった午後2時46分、細長いマンションの10Fで今まで経験のない揺れに僕はそのとき「これはダメかも…」って思った。

それから何日間かは眠れずTVとTwitterを見続けた。
溢れてくる映像と情報を処理できず、まるで口に蛇口を突っ込まれて飲まされ続けるような感覚。自らが栓をひねりながらも。

地震から3日目。
報道されない被災地「北茨城」に一人で住む祖母を家族で迎えに行った。少ない情報の中から国道六号が渋滞は凄いけど通れるってTwitterでわかったので。
救援物資が届かないほど国道が混んでるってTwitterでみてたから相当覚悟して夜中にでたのだけど、一度も渋滞にハマることなく到着。Twitterの情報を鵜呑みにするのも危ないなってこのとき思った。ここもライフライン全滅で、もちろん街灯も信号も付いていない。あたり一面完全な闇。悲しいけど信じられないくらいキレイな星空。そしてときおりみつけるガソリンスタンドに夜中の二時くらいから三十台近くがエンジンを止め並んでる異様な光景。
祖母は友人の家に避難していたので感謝の意味も含め、二世帯で住んでる家族の多い友人に東京でかき集めた食糧やお菓子やパンや牛乳を渡す。考えてみると、こういった理由でスーパーで大量に買い物をしてる姿を見た人がパニックになって買占めにつながったのかなって少し思う。「うちは畑もあるし食べものは大丈夫だよ」って遠慮するから、それなら近所の困ってる人に分けてあげてと伝えた。(今はそこの野菜も風評被害にあってる)停電でTVもみれずラジオの無い友人は被害のスケールを把握してないが、それでも福島の原発が心配だと言ってた。僕はなにかのために持ってたラジオとありったけの電池を友人に渡して東京に戻った。帰りは計画停電による電車の運休と重なり道路は渋滞。結局7時間近くかけて帰宅。


それから何日かたって東京は街も人も平気なフリした顔で動き始めるけど、隠せずにいる疑心と不安が東京の節電の薄暗さと重なる。
頻繁に続く余震、原発、計画停電、買占め、水、ガソリン不足、東京脱出の賛否。
それでも平気なフリをしなくてはいけない。なぜなら家があるし、食べ物があるし、命がある。
日常を取り戻すために、建築的な被害のない心理的被災地東京は必死で冷静な顔をしている。外国の友人からは本当に大丈夫なのと?心配される。
そしてあれ以来Twitterは好む好まざるにかかわらず不安な情報がバンバン飛び込んでくる。政府がだす原発の情報をどこまで信じればいいのか。みんなが欲しがってるのは本当の事。

価値観も変わってきています。
僕が今思ってるのは、「なにが無駄でなにが大切か」を本当にわかってしまったら、凄く味気ないものになってしまうんじゃないかっていう怖さ。消費文化をしっかり刷り込まれた変化を嫌がる自分です。
無駄やくだらないがどれだけ幸せなことか。

それでも自分を含め皆が薄々感じているハズの大量消費文化と物質主義の終わりが、巷に溢れるチャリティーTへの虚しさにつながってしまいます(悪い事とは思っていませんが)。
これがパラダイムシフトなのでしょうか?
あの日を境に力づくでも変化していくのでしょうか?
そのあたりがもう少しハッキリするまではブログの更新はやめておこうと思います。
「僕たちの目の前にある現実は問題ではなく、答えだ。」と養老先生は言ったらしい。

3/23


・これを書いてる今も福島のいわきでは震度5強、東京では震度3の揺れを観測しています。

・こんなことを書くと、欲を捨て坊さんにでもなるのかと思われるかもですが、昨年夏から放置してる自転車を本当そろそろ組みたいなとか思っているので、物欲が完全に0ゼロになることはないと思います。

・タイミングがきたらまたBlg書くつもりですが、いろんな意味で今は自分をReBOOTしないといけないと思うので。

・実家のトイレのスヌーピーのポスターにはたまたま
「(用心) 本当は何もいうことがないんだったら わんわん吠えたってナンセンスだ スヌーピー」
って書いてあった。
03/23 06:29 | MEMO
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